近畿大学工業高等専門学校


赤崎智君、TOEICで955点達成 ―心の中のビッグバン―

 

赤崎智君、TOEIC955点達成

 

―心の中のビッグバン―


 

 
 本校の情報コミュニケーションコース5年の赤崎智君が201311月に受験したTOEIC955点を達成した。彼はTOEIC学習だけに的を絞った勉強はその前年の10月に始めており、ほぼ1年で、900点台をクリアしたことになる。最初に受けたTOEICでは730点であり、この1年で225点、点数を伸ばしたことになる。ちなみに彼には、留学体験はない。

 

 彼が初めて受けた試験で、730点も驚きなら、そこからわずか1年で900点を超え、990点の満点のすぐ手前まで到達したことも驚きである。彼の学習法については、以前、本校ESSのホームページで詳細に記述した。それらはTOEICで高得点を取得したいと望む学生諸君にとって、いわば地図のような働きをしたと思う。高得点への道は様々だが、赤崎君が歩んだ道は多くの受験生にとって参考になるものと思われる。

 

 彼は大学3年編入学を決めた時期になって、初めて本気で英語を勉強したという。そして毎日2時間、学校の寮で練習を積んだ。そして結果的に730点を出した。彼の自宅でのご家族の発言が興味深い。最初の受験を終え、冬休みに帰省した際、ご両親は高得点のことよりも、家で勉強する姿に驚いたという。そうは言っても、もともと彼は成績優秀で、特に理系教科に長けていた。彼自身、数学や物理が得意と言っていた。

 

 本題に戻ると、全国的に、TOEIC学習をする学生は多い。特に大学の英文科あるいは英米語科に在籍する学生は毎日何時間も英語を勉強する。それにもかかわらず、高得点を1年間のような短期間で取ることは、大変難しい。

 

 彼に他の学生との違いを尋ねたことがある。そうすると答えは、「僕は英語がすらすらと発音できます」というものであった。確かに英語を音読できる能力は大切である。しかしその場合でも、大学生の中にも同じようにすらすらと発音できる者がいるという現実から、この言葉だけで急速な英語能力改善を説明できないと感じる。

 

 赤崎君の英語力は、単純に今までに覚えた単語の総数、あるいはリスニングに費やした時間の合計などの表現を超えたものだ。最初、彼が英語学習を始めた時、単語や文法の知識は個別に存在し、単なる集合体に過ぎなかった。しかしある時点からそれらが体系化し始めた。覚えた単語や文法事項が、目にする文章や耳にする音声とともに有機的な関係を持ち、一体となって、複雑で高度な構造体を形作り、心の中で機能し始めた。個々の単語や文法事項を知っていたから、TOEICの問題が解けたというよりも、心の中に出来上がった言語世界ゆえに、正解を出すことができているとみなすのが正しいのではないか。

 

 言うならば、彼の英語習得は外国語習得というよりも、私たちが日本語を身に付けた状況に、通じるものがあるように思える。日本語を身に付けた時、日本語を学ぶという姿勢でいた日本人は誰もいないだろう。どのように日本語を習得したのかと問われても、いつの間にか日本語を話すようになっていたとしか答えようがない。

 

 彼が英語を学ぶとき、本人が気づかないところで、英語という言語体系が構築されている。それゆえ英語を読んだり、聞いたりしている間に、単語や文法といった知識が自動的に取り込まれ、その言語体系をさらに膨らませている。その言語体系は、ある種、心の中の宇宙と言ってもいいかもしれない。彼が本気になって英語学習を始めた時、それまでの知識の集積活動が臨界点に達して、ビッグバンを引き起こし、現在も心の中の宇宙は膨張を続けている。ただし残念ながら、このビッグバンを引き起こす臨界点が人によってさまざまである。そのため単語や文法事項をいくつ覚えるなら、臨界点に達するといったような具体的かつ客観的な物差しを提示することができない。

 

 彼は満点に近い点数を取った。しかしこの高得点は、通過点にすぎない。野球で甲子園出場を果たした選手が、プロに入ってから、「甲子園出場は通過点でした」と言うのと似ている。別の言い方をすれば、この高得点を新たな段階の出発点とみなしているのかもしれない。今までのTOEIC学習は、将来の学問の基礎になり、ここからまた新しいチャレンジが始まるという思いで、気持ちを切り替えている。

 

 高得点を取ることはうれしいことであるにちがいない。でも彼の心の中では、その高得点は、もう終わったことなのだ。一つ一つの結果に一喜一憂し、感傷的になっていたなら、ここまで急速に伸びるということはなかっただろう。基本的には目の前を過ぎ去る時間と戦い、能力が自らをどこへ導こうとしているのか突き詰めようと努力する日々が続く。そこには過去を振り返るのではなく、ひたすら未来を見つめ、新たな自分の創造へと思いを巡らせる姿がある。才能があるということは、立ち止まらないこと、自分の才能を信じ、ひたすら未知の世界を開拓してゆくことだ。

 

 このように書いてくると、赤崎君は特別だと思う学生諸君が多いかもしれない。でも彼の心の中のビッグバンが何で始まったかを考えることは、示唆に富むものだ。彼は大学3年編入学を目指す勉強の過程で、英語の才能があることに気づいたのである。もしそれがなければ、単に、クラスで英語の成績が上位の学生ということで終わっていたかもしれない。英語の成績がクラスで上位であるのと、ずば抜けた資質を発現させたこととは違うものである。

 

 彼が教えてくれた重要なこと、それはチャレンジすることである。学生諸君もチャレンジすることで、心の中に隠れている才能に気づくかもしれない。例えるなら、ダイヤモンドのような原石があって、その原石は見つけてほしいと囁いているかもしれない。その人がその原石に気づき、磨くならダイヤモンド以上に光り輝くかもしれないし、胸元のオーナメントとして、その人がどこへ行こうとも、生涯を照らし続けるかもしれない。

 

 人によってその才能は様々だと思うし、英語の習得が遅いからといって悲観することはない。その人なりのスピードでしか進めないかもしれないが、英語学習を継続することで、赤崎君が持ち合わせているような英語の宇宙を心の中に構築できるだろう。また別の才能が宿っていることに気づくかもしれない。要は努力し、その才能を見つけ、磨くことだ。

 

 私たちの人生は、自分探しの旅と言われることがある。それゆえ学生諸君が持っている興味関心を大切にしてほしい。その興味関心は次の次元へと導いてくれる。それまで想像もしなかった輝かしい未来との出会いがあるだろう。チャレンジし続ける人にだけ見渡せる景色が広がる、そんな世界が学生諸君を待っている。

 

(英語科 竹内春樹)