近畿大学工業高等専門学校


TOEIC 955点取得学生にみる反応の大切さ

TOEIC 955点取得学生にみる反応の大切さ

2016年1月27日

 在籍時にTOEIC955点を取得し、その後、筑波大学に3年編入学、そして現在4年の学生が、本校を訪ねて来てくれた。彼によると、東京大学の大学院に合格し、4月からは晴れて院生になるという。彼は本校の情報コミュニケーションコース卒業であり、大学院に入ってからは人工知能を研究するという。筆者はその方面に疎いので、研究内容を尋ねると、「従来のパソコンの場合は、入力したことに対して、それに対する直接的な答えを返してきます。でも人工知能は指示に対して、ソフトが考え、推論し、状況に適応した答えを返してきます」と言った。また「鉄腕アトムのようでもあります」と言った。毎日使うパソコンでさえ、少しずつ進歩しており、この文章を書いている時でも、こちらが言いたいことの予測候補をディスプレイ上に多く示してくれるようになった。この変換予測も人工知能の一部だという。何はともあれ、今後も順調に研究生活を送ってほしいと思う。

 このESSのホームページで、彼のTOEIC学習法を掲載し、読者の方々の英語学習にいささかなりとも、役立っているのではないかと思い、彼とともに喜んでいる。さて、記事をホームページに掲載する時、当然ながら、彼の承諾を得ている。そのようなときに気付くのは彼の読む速さである。ななめ読みというか、スキミングというか、とにかく日本語でも読むのが速い。日本語でも、英語でもこの反応の速さこそが、言語習得に大いに寄与していることは明白と思われる。

 私は以前、ESSのホームページで、言語習得におけるビッグバン仮説について述べたことがある。そこでは学習者の能力を言語処理能力と言語記憶能力に大別し、若い学習者は言語処理能力にたけていることを説明した。つまり外部からの音声信号に対して、何らかの反応を繰り返し示すことで学習者は言語を習得していくという仮説である。最初は言語に対して知識がなくても、音声に対して、うなずいたり、相手の目を見たり、簡単な言葉を返したりすることで、反応を示す。その処理過程で、言語体系を少しずつ身につけてゆく。したがって、この反応こそ、習得上最も大切と主張した。

 私たちが言語を学ぶ時には、言語を分析し、そこに出ている単語の意味や、文法構造を理解しようとすることが多い。この分析中心の学習法はもちろん重要で効果がある。でもその反面、それが決してすべてではないと感じることがある。例えば、学生はTOEICや英検を受験するとき、答えを導き出す反応は即座のものでなくてはならない。単語の意味が何で、これが主語、動詞、目的語、補語とゆっくり分析する暇など、この場合には与えられない。2時間ほどの試験時間で、このようなことをしていては決しておぼつかない。日常の言語使用でもそうである。

 それゆえ学生諸君は通常の授業とは違う言語との接触の機会を持つことが必要になる。その一方法が、このTOEICや英検といった資格試験へのチャレンジである。そうすることで、いちいち日本語に訳すのではなく、英語を英語として即座に反応する習慣が身につく。学生諸君にとっては慣れていないので、最初はスピードに追いつけなかったり、正確さを欠くかもしれないが、あきらめずに継続することこそ、より効果的な言語習得の秘訣だろう。

 さて、彼が来てくれたのは12月で、ずいぶんと暖かな日であった。今年に入っても、正月過ぎぐらいまでは、珍しいほどの暖冬であった。しかし1月も下旬になると、今度は西日本で大雪になった。温度が急降下し、この名張でも雪が降った。

    冬というと、どちらかというと印象的にはマイナスの言葉で表現されることが多いように感じる。例を挙げ、夏と比べてみよう。夏は開放的だが、それに対して冬は閉鎖的かもしれない。活動的に対して、緩慢かもしれない。もっと簡単な言葉だと、明るさに対して、暗さかもしれない。でも少し観点を変えると、冬の長所が浮かび上がるように思える。夏がうかれた季節だとすれば、冬はもの思いに耽る季節である。確かに夏はある意味、前向きな季節かもしれないが、冬は過去を振り返り、その思いを抱えて前に向かう英気を養う季節である。
 

 暖かなストーブの前に座り、ゆっくりコーヒーでも飲むのが冬には似合う。過去に交流があった人を思い出し、その思い出の1ページ1ページを丹念に読んでいく時間がそこにある。人生を歩むにつれて、思い出は雪のように心の中に降り積もっているものだ。日々新しい出来事が、心を埋め尽くし、少し前の記憶さえも、視界からかき消されてゆく。でもそれらは確かにそこにある。そしてその思い出は、数十年たってもセピア色に色褪せることなく、当時のままの原色をとどめている。そこでは久しく会ったことがない友人も、こちらが声をかければ、すぐに振り返ってくれるような、そんな距離感の中にいる。何十年たっても、昔と変わらず若くて元気な姿の友人に出会える。冬は、このように時空を超えた思考を可能にしてくれる季節である。

 しかし時として耐えきれないのは、過去にもっと言葉を交わすべきだったと思う友人に、その思いの十分の一も伝えきれなかったと感じることである。この思いは、冬の身を切るような北風よりも強く深く心に沁みる。声をかけようとして、躊躇して、飲み込んだ言葉、そしてその時言っておけば良かったと後になって思える言葉。より分かり合えるように話をすべきであったのに、言い出せなかった言葉が、今も頭の中を駆け巡る。今、もしもその時に戻れるなら、心ゆくまで、会話を楽しみ、分かり合いたいと思う。

 このような思いが北風となり、歩みを鈍らせても、オーバーコートの襟を立て、マフラーを巻いて、外に出る勇気を持ちたい。たとえ吹雪であっても、風雪を遮りながら、自分と対話し、心のタイムマシーンに乗って、時間旅行を満喫したいと思う。冬の夜は、すべてが凍りつき、街中がまるで息をひそめているかのように感じる。その静寂の道を歩む時、満天に輝く星たちが、考えに耽る姿を優しく照らし出す。自らを振り返り、過去から未来を見つめなおすという気持ちで積極的に冬を捉えるなら、寒さも決して悪いものではない。時を超えて行きつ戻りつする思考の向こうに、光や温かさといったものが感じられ、夏に負けない活動の季節であることを実感する。

                                                                                           (英語科 竹内春樹)