近畿大学工業高等専門学校


始業式挨拶 (平成18年度1月)

平成19年1月11日

近畿大学工業高等専門学校
校長神野稔

始業式挨拶

あけましておめでとうございます。

先日、歯科医師を目指す浪人生が、女優を目指す妹を殺害し、その遺体をばらばらに損壊するという事件が起こりました。

昨年においては、医学部を目指す東大寺学園の高校生が、義理の母と妹を放火により、焼死させるという事件が発生しました。

医学部や歯学部へ入学するには、高い学力偏差値が求められ、かなりの受験勉強をしなくては、合格できません。

英語・数学・国語・理科・社会、すべてにおいて高得点を獲得するための、学習をしなくてはなりません。

本来、学問をするということは、論理的に物事を考える力や科学的・合理的に物が見える力を育成し、数学・物理・化学、政治・経済・歴史・文学・宗教・哲学・心理学など学ぶことによって、宇宙・地球・人間社会の法則を学び、この世をいかに生きていくかを学ぶことにあると言えます。

学問をするということにより、ものごとの法則を学び、人間としての生き方を方向づけさせていけるはずのものですが、人間として絶対に許せない、親・兄弟に対する殺人にまで至るという現実はいったい何に問題があるのでしょうか。

受験勉強という形の学習をすることによって、人間性が喪失するとは言えないでしょうが、個人が望む生き方としてそれらを求めているのでなく、親の専門的職業を引き継ぐためだけのために、能力や適性を無視した形で学習をしているため、人間性を伸ばすべき学問をしているはずであるのに、人間性を抑圧させるという問題を孕ませています。

このようなケースは、過去から多くあったはずなのに、親族殺人にまで至らしめるのが現代的状況と言えるのでしょう。

やはり、学問は宇宙や自然の法則を、歴史や社会の法則を学び、自己の生き方を考えるという本来のあり方が望ましいといえます。

その点、高専制度は、多くの者が受験勉強から開放されているため、課業・課外ともに活動ができることと、人間的活動である「ものづくり」が学べるという特典を持っています。

知育・徳育・体育、バランスよく育成できる環境にあると言えますが、学問をするのは学生個人であることを忘れてはなりません。

自分のために、人間らしく生きるために、学問をする気持ちを忘れないでください。