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平成23年2月19日

卒業おめでとうございます。
本日の卒業証書・修了証書授与者は、本科3年修了19名、本科5年卒業122名、専攻科修了16名で、本科卒業生総数7327名、専攻科修了生総数41名となっており、専攻科修了生40名が学士号を取得しています。
さて、昭和36年、「中堅技術者」が著しく不足しているという産業界からの要請により、5年一貫の「高専制度」が制定されました。
当時、国務大臣で科学技術庁長官・経済企画庁長官をされていた世耕弘一近畿大学初代総長・理事長が「制度制定」に関わられたこともあり、近畿大学の併設校として「熊野高等専門学校」(昭和37年機械工学科・電気工学科、昭和38年土木工学科設置認可)を設立されたもので(昭和42年熊野工業高等専門学校に名称変更)、本年で48年を経過しています。
少子・高齢・過疎化著しき熊野市は、東京へ行くのに特急・新幹線を利用しても5時間以上掛かるところですが、世界自然遺産熊野古道、吉野熊野国立公園という自然環境美しきところにあり、気候温暖、人柄温厚、教育環境として最高のところだったと言えます。
本校の設置により、熊野に全国から学生が集まるようになり、熊野の学生も全国へ飛び立つことを可能にしたと言えます。
「中堅技術者」の養成機関として発足した「高専」ですが、近年、産業界からの「先端的開発技術者育成」の要請などもあり、大学3年編入学、専攻科入学、大学院進学への道も含め、日本のイノベーションを担う人材の養成機関としての役割も担うように変貌しています。
企業が高専生に期待する職種は、産業技術の急速な高度化を背景にして、設計、製造施工、研究開発、品質管理、生産管理、システムエンジニア等となってきており、高専卒業生は「現場での幹部候補生」として処遇されています。
ところが、少子化・過疎化著しき熊野市に立地する本校は、平成2年度をピーク(1157名/定員1350名)に学生数減が始まり、平成9年には定員の過半数割れとなり、平成11年度、募集停止を言われるまでに至りました。
しかし、平成12年度、「熊野高専」から「近大高専」への名称変更、入学定員270名から120名への削減、男女共学化、学科再編(機械システム工学科・電気情報工学科・建設システム工学科)を行って以降、学校改革を矢継早に実施しました。
平成12年度以降の人事刷新により、先端技術者、特許取得者、技術士、1級建築士、外国人教員、優秀スポーツ指導者など、博士26名、修士11名、学士12名という教員構成となり、教育・研究・学生活動の活性化や国際化を実現し、技術力を背景に地域産業との連携を行う実力をつけてきました。
現在では、本校の学士課程プログラムがJABEEより国際的水準に達していると認定されただけでなく、「独立行政法人大学評価・学位授与機構」による「機関別認証評価」において、「就職率、進学率が極めて高く、教育の目的において意図している養成しようとする人材像等について、教育の成果や効果が十分に上がっている」と評価を得ています。
それらのこともあり、平成13年度以降、地元からの入学生が倍増し、平成16年度には定員充足するに至りました。
しかし、平成17年度以降、地元入学生が半減し、平成20年度においては法人本部より廃校を言われるに至りました。
平成17年度以降、市長・町長・県議・市議・商工会議所などを対象に、本校存続問題懇談会などを開催しました。
平成20年10月、河上熊野市長、古川御浜町長、西田紀宝町長の斡旋で本校存続をテーマとして野呂昭彦県知事との会談を行いました。
しかし、地元入学生の増加には繋がりませんでした。
平成20年12月、世耕弘昭近畿大学理事長より姫路市から高専誘致の話しがあることが紹介されました。
平成21年1月、野呂県知事が「知事トークインキャンパス」で来学された時、本校の県内移転先として皇學館大学名張学舎撤退跡が望ましいのではと紹介されました。
以降、本校の存廃問題、移転問題が地方自治体、住民を巻き込んでの関心事となり、諸方策や見解等がTV・新聞で報道される事態へと至りました。
平成22年1月14日、近畿大学理事会は「平成23年3月をもって熊野での学生募集停止と移転先第一候補の名張市との具体な交渉に入る」と決議しました。
以降、募集停止か移転かを巡って、地元保護者有志の「高専の存続を願う親の会」の運動、同窓会を中心とする「移転存続の会」の運動など、紆余曲折がありましたが、「名張移転」という形での存続となりました。
平成22年5月25日、学校法人近畿大学と名張市との間で、「移転合意書」の正式調印が行われました。
名張市の主な支援内容と協力して取り組む事項は、
などです。
名張市との連携協力とは、本校が地域に開かれた学校として、文化・教育・産業など様々な分野において、地域の発展、充実に寄与できるようにすることです。
移転先の名張伊賀地域には工業団地があり、学生の工場見学、インターンシップ、地元就職、企業経営者や技術者による本校での教育指導などが可能となり、創造的実践的技術教育をする環境が飛躍的に向上します。
昨年の卒業式での「校長としては、教職員、学生、保護者、同窓生、元教職員、全国の高専関係者の期待に応え、本校が『未来永劫存続』できるよう、最後まで可能性を追求して行きます」との約束は、「名張移転」という形で現実化しましたが、「未来永劫存続」するには、まだいくつかの関門を突破しなくてはなりません。
今後、自治体、地域住民、地元企業などとの連携協力を進め、地域の皆さんから愛され、信頼され、尊敬される学校として発展させていかなくてはなりません。
風光明媚、気候温暖、人柄温厚の熊野は去り難いですが、新天地名張で学校再建に取り組み、熊野と名張の架け橋として働かせていただきます。
地域の皆さん、保護者の皆さん、本校存続の移転に対して、ご理解・ご協力頂きましたこと、心より御礼申し上げます。
激動期に在校されていた卒業生・修了生の皆さん、本校での経験、獲得された技術や知識を、社会において遺憾なく発揮してください。
皆さんの今後の活躍を期待して「贈る言葉」とさせていただきます。