近畿大学工業高等専門学校


移転開学式における校長挨拶

移転 開学式 名張 挨拶 校長

平成二十三年四月八日に行われました、近畿大学工業高等専門学校 移転開学式における、校長挨拶を掲載いたします。

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「近大高専移転開学式」挨拶 

平成23年4月8日
校長 神野 稔

「移転開学式」にお越しいただき、ありがとうございます。

「高専制度制定」が昭和36年、全国に高専が設立されたのが昭和37年で、本校移転開学と制度制定50周年が期が一となっています。
当時、国務大臣で科学技術庁長官・経済企画庁長官をされていた世耕弘一近畿大学初代総長・理事長が「高専制度制定」に関わられたことから、近畿大学の併設校として「本校」を設立されたものです。
その意味において、本校の存続は全国高専から見ても近畿大学から見ても重要であったと言えます。

本校の名張移転に至る経過について述べさせていただきます。
少子高齢過疎化著しい熊野市での私立の高等教育機関である本校存続は厳しいものでした。
平成10年の段階で定員の過半数割れが生じ、廃校の話しが出ましたが、平成12年度からの学校改革で生き残りを掛けました。
2名しかいなかった博士を26名としただけでなく、特許取得者、技術士、1級建築士、外国人教員、全国レベルのスポーツ指導者を採用などして、教育・研究・学生活動の活性化を図りました。
その結果、学生数が着実に増え、平成16年の段階で、過疎地でも生き残れることは可能と診断されました。

しかし、高専は国の管轄で県の管轄下にないこともあり、17年度以降、地元高校への定員調整・進路調整により、本校への地元入学生が半減する事態に至り、地元市長・町長に改善を要望するが、改善されず年を過ごしました。

平成20年6月、法人本部より「三重県から学生募集に対して協力が得られないなら廃校にするのが最もよい」と言われるに至りました。

平成20年9月、本校存続をテーマに「県知事会談」を行いました。
野呂明彦県知事は、「県としても教育委員会に対して、近大高専の進学指導についてよく知ってもらうようにしたい。連絡会などを作って知恵を出し合いたい。私どもも、近大高専をとても大切な必要なものと思っている。」「高専は三重県とWin-Winの関係になる。もし、近畿大学からそう見えないとすれば反省し、そう見えるように努力をしてゆきたい。」と近大高専存続に対する思いを述べられました。
しかし、地元からの志願者は伸びませんでした。

平成20年12月、世耕弘昭理事長より「姫路市から高専誘致の話しがある」ことが紹介され、三重県外移転による存続の可能性を示唆されました。

平成21年1月、野呂知事が本校に「知事トークインキャンパス」で来学された時、「近大高専を県内に残させるためには、皇學館大学社会福祉学部撤退跡への移転が望ましいのでは」と紹介して頂きました。
以降、本校の廃校・移転問題が地方自治体、住民を巻き込んでの関心事となり、諸方策や見解等がTV・新聞で報道される事態へと至りました。

平成22年1月14日、大学理事会は「平成23年3月をもって熊野での学生募集停止と移転先第一候補の名張市との具体な交渉に入る」と決議しました。
以降、募集停止か移転かを巡って、紆余曲折がありました。

平成22年5月25日、学校法人近畿大学と名張市との間で、「移転合意書」の正式調印が行われ、土地・建物・機器備品の無償提供や無償貸与などの支援内容が決められました。
 他に、国・県・市からの補助金が確定しています。

名張市は交通の便がよく、周辺には工業団地があり、学生のインターンシップ、地元就職なども進み、立地条件としては申し分のないところです。
 今後、自治体、地域住民、地元企業、地元小中高校などとの連携協力を進め、地域の皆さんから愛され、信頼される学校として発展させて行きます。

 高専は高等教育機関であるため文科省の管轄にあり、国からの私学助成金がありますが、県や市に財政的負担を余り与えません。
しかし、地元の中学生が入学する学校ですので、私立高校同様の定員調整等の支援をして頂きますことをお願い申し上げます。

 皇學館跡地を紹介していただいた野呂県知事、誘致を進めていただいた亀井名張市長はじめとする関係者各位に感謝するとともに、皆様の期待に応えるよう努力する所存です。

 今後とも、ご支援・ご協力の程、よろしくおねがいします。